JUGEMテーマ:
いぬのきもち あいやぁ〜 もう2月半ばかぁ〜 どうりで寒いと思たゎ 夕方の散歩も 耳キレそうに痛いし、夜中や明け方は しょっちゅう ー2〜3℃
ガレージの ぞうきん ぺきぺきに凍ってるし…
今日は 朝から前の道が真っ白で 夕方の散歩が 億劫やし…
そう言えば、ブログも去年の12月に更新したっきり すっかり うらしま太郎と化し・・・
もう みなさんの脳の中で 去年まで いた人 になってしもてるか どなかたぁ〜 記憶力の優れてる方ぁ〜 思い出して下さぁ〜い わが家のデブ3匹のこと では、ひとまず 暮れ〜1月までのことを 長々と 綴らせて頂きますが お忙しい方は さ〜っと流して頂くか、スルーにて お願い申し上げます * * * * * * * 2013年 12月中旬 両親の入院が重なり、まともに掃除もせんままジタバタしてるうちに
ふと気づいたら大晦日
普段は
ぶよぶよと だらだらと座敷ブタの古都さん、急に忙しくなり…
12月28日 お母ん退院 朝9時すぎ部屋へ迎えに行った
母 ほな、お先に帰ります お世話になりました〜 こっちこそ、いろいろ有りがとうね〜 お互い早よ良ぅなって頑張ろねぇ この部屋5F 五山 大文字 のうちの 妙法と大が見えるし 次はお盆にでも 入院せなあかんな 母 いやぁ〜、もう入院なんか要らんわぁ〜 また整形の外来通院で会えるやろかなぁ お1人ずつと挨拶をかわしてた母は
みなさんも 涙目
片手がギブスに覆われてて ペットボトルのフタも開けられへんけど、
足腰は達者な3人
うち1人は、ひじから下を切断する大手術を受けた方 両手は自由に使えるけど、足を固定されて車椅子やし床に物を落とす
と拾えへん3人
うち1人は小学校3年生のメチャ可愛い男児=家が車で4時間の遠方
なので、お母さん泊まり込み と言う訳で 女性部屋に入院 和気あいあい、お互い助け合って いつも笑いが絶えなかった6人部屋
別れを惜しむ みなさんと母の様子は、まるで卒業式やった
まだまだリハビリ中で普通には使こたらあかん利き手
重たい荷物は持てへんし 包丁も使えへん、うっかり両手鍋で煮炊きもん
したら 火から下ろせへん
けど、12月半ばに退院してから 会社に泊まって 弟と一緒に宅食おかず
を食べてくれてた父親も、今日から自宅に帰って来る
昨日のうちに、粕汁・小松菜のからし和え・お魚の煮つけ…などの材料を
買って、実家の冷蔵庫に入れに行ってた古都さんは
病院から母を連れて帰ったあと、ひとまず自宅に戻り
茶歩つれて再訪
私が晩メシの仕度をしてる間じゅう母に甘え、病み上がりの その手首を
ガシガシに甘咬み攻撃した
あかんやろ 茶歩さんは
すっかり満足げで、 ひとまず やれやれ
12月29日 母を連れて 年末年始の食材
いちおう正月らしいもん の買い出し
そのあと自宅に戻り
せめてキッチンだけ、あと換気扇も… そやっ、寝床ぐらいは と
大掃除 プチ掃除で1日を終えた
12月30日 茶々かあしゃんから頂いてた黒豆を持って母の元へ…
ほら、きな粉みたいなええ匂いしてるやろ〜 そこらに売ってるやつ、こんな香ばしい匂いせぇへんで こんな上モノ、私が炊いて失敗したらかなんし置いてたんえ ほな今日すぐ浸けて 明日に炊くわ やっぱり正月は 黒豆と棒ダラが無いとなっ そして、この夜のこと
大好きな ウナギ お母ちゃん 帰って来はって良かったな と茶歩を撫でてたら、左脇の下に
イヤな感触 ぷくっと腫れて熱っぽい ( けっこう広範囲 )
リンパ腺の炎症? まさか… リンパ腫か
もし悪性でも、あの過酷な抗ガン治療には もう耐え切れへん12才5ヶ月
余命は 1ケ月か・・・ 2ヶ月か・・・
年末で病院は今日から休み、とにかく年明け早々に診て貰うことにしよう
12月31日 昨夜ほとんど寝られなかった私は、朝から どんより…
茶歩と係りの人が散歩を兼ねて、美味しくツヤツヤに炊けた黒豆を貰いに
行ってくれた
母が退院した日の夜には [ 元旦ブログ用に ] と思い
こんな写真も作ってたけど
やはり脇の腫れが気がかりで
PCを開くバワーが出ず、近所あちこちで響く
除夜の鐘を聴きながら黒豆をつまんだ
母が炊いてくれた黒豆は、ど〜んと落ち込んでた私の [ 肥やし ]
となり、ほんの少しだけ 元気が出た
2014年・元旦 神だのみ…
いや『来年は、ここ』と早くから予定してた大阪 (
だんじり祭で有名な岸和田 ) の
ごくごく小さな神社で
犬ご祈祷 病気平癒 をして頂いた
ちょうど何組かの犬づれの人たちと 一緒になったけど
前もって 電話してたおいたからか(?) いちばん先に
どうぞ お上がり下さい と 茶歩に 声をかけて下さり
お上がり下さい? 砂利敷きに縁台みたいなイスが置いて有ると思てたら、フツ〜に お座布団が
並べてある畳敷きに 明らかに土足状態の犬も上げて下さって ビックリ
まっさらみたいなキレイな畳に… んっ? ダンナが厄年の時の祈祷料、たしか 3000円やった … か 犬ご祈祷 4000円也 まぁええか こちらの 名前入りの木札は 後日 送って下さいます
1月2日 またまた実家に向かい、お母ちゃんからお年玉
茶歩に を貰って
この日も甘え放題で 大満足の茶歩さん
一方 私は、明日の病院のことが気にかかり 顔では笑いながらも
悪い方の
ことばかり考えてしまい、またもや眠れず
1月3日 近所に新しく出来た 病院に連れて行き
早よ診て貰いたかったけど、かかりつけは休みやったことと
前から『 いっぺん行ってみよ 』と思てたから
まずは触診したあと 採血や細胞検査をして貰い、良性の脂肪腫と判明
初めての病院、初対面の先生やスタッフさんたち
少し心配はしたけど
予想どおり 物怖じすることなく
採血も 細胞採取も、おりこうさんやったね〜 と頂いたビスケットを ぼりぼり喰らい、おかわりを催促した図々しい老犬
先生は声高らかに笑って オマケをくれた
ガンでは無いと判り、すっかり元気が出た古都さん
やっぱり毎年のことやし、あっちも明日… と 係の人に
運転を強要 お出けを提案
1月4日 名古屋の 伊奴いぬ神社へ とりあえず、いつもの黒丸PAでドッグランを利用して
2014Run まだ もう少し 足腰も 歯も 大丈夫そうか
ひとっ走りして
出すもん出して
車に戻り
着いたら起こせと言うたので
叩き起こし やさしく声をかけ
いつのも定位置で 撮影
階段は、ちゃんと あっち向いて上がるのに
上がり切ると、くるっと方向を変え
神さんにデカイおケツを向けて座ってしまう老犬
カメラの方に向かなければ… のクセ と言うか 条件反射と言うか
いつもの 犬みくじも引きました
なんで 匂いを嗅ぐのか・・・ 判らん
いぬのきもち そう、たとえ 人や犬が たくさんいても キョロキョロせずに 乗せる これ 今年の課題にしよと思てな 家とちごて ここは砂利敷きやし、落としたら割れて 縁起悪いでぇ〜 やれば・・・ 出来た こうして いつもと変わらない 初詣が出来て
両親ともが 無事に退院し、茶歩も 幸い悪性腫瘍ではなかったし…
いつもと変わらない おだやかな正月休みを過ごすことが出来た
わが家 デブ3匹でございましたが
1月6日 さぁ今日から仕事や
まだ手首のリハビリ中の母の代わりに [ 猫の手よりマシ ] と、実家の会社を
手伝いに行き
母は、検査結果が年内に間に合わんまま退院となったけど、父と母が揃って
社屋の2階でフツ〜に昼ごはん食べてるのを見て
当たり前のことが改めて嬉しくてね なんやらホッとした
帰宅後は、久しぶりに 夕方の公園で犬友さんたちと 井戸端会議
井戸は無い わが家も [ ごくフツ〜 ] の生活に戻りかけて来た この散歩の帰り
急に横断歩道の白線がグニャ〜っと歪んで見えて、両足が脱力して地べたに
ヘタリ込んでしまった 古都さん
信号は青で轢かれることは無く、貧血とはちごて意識は有ったから
『 これだけは離したらあかん 』とリードを握りしめ、なんとか信号が変わる
までに立ち上がってヨロヨロと渡り切り、とりあえず生きて家に着いた
がっ!! また夜に 天井がグルグル回り、壁のカレンダーが揺れ始めて
ヤバイっ、今日は係の人は会社の新年会で帰りが遅い でも、くも膜下か 脳梗塞なら 手遅れになると死ぬ? お尻で階段を下りて 玄関まで行ったものの、1人でタクシーに乗るのは無理
でも救急車を呼ぶほどでは無いし…
そやっ、お母んは手ぇ以外は元気や けっきょく母に電話して タクシーで迎えに来て貰い救急病院へ
相変わらず グルグルゆらゆらしながら、医師に夕方からの状態を伝えると
すぐにCTを撮られ
舌を左右に動かせるか、白線に添って歩けるか… など [ 脳疾患 ] を疑われて
結果は…
はい、CTの結果を見る限り くも膜下でも脳梗塞でも無いし、隙き間も 無くて きっちりキレイに詰まった脳ですよ〜 耳なりや詰まった感も全く無いんなら メニエルでも無さそうやし… けど目まいはヒドいようなので、極度の疲労などによる 自律神経失調症で、 三半規管のバランスを崩してますね 脳と耳の奥の血液の流れを助ける薬を出しますが、1週間たっても症状が続 くようなら 改めて神経内科を受診して下さい ふっ、強靭な私も たまにバッテリー切れを起こすのか
そして、この翌々日
1月8日 朝イチから また目が回り、のろのろと朝の支度をしてると 電話が鳴った
お母んから? こんな朝イチに、なに? お父ちゃんが ものすご息が苦しそうで いま119番して 救急車を待ってて… 肺炎が日ごとに良くなり、元旦には親戚たちも 集まって 例年どおり楽しく
過ごし、ムリせんようにゆっくり過ごしてた父
6日に会社で有った時も冗談を交わして元気にしてた父が、早朝に急に具合
を悪くして緊急入院した
[ いま救急車に乗った ] の母からのケータイの2分後に、ウチの裏側の道に
けたたましいサイレンの音が響いた
急いで仕度し、5分ほど遅れて 私が病院に着いた時には、父はもうICUで
人工呼吸器やら 点滴やら 体じゅう管だらけで 意識は混濁
ベット脇のモニターを見ると、血圧はとんでもなく低く 血中の酸素量も ごく
わずか かろうじて生きてる [ 虫の息 ]
年寄りが肺炎をぶり返したら、まず助からん 良く耳にする話…
担当医は
かなり厳しい状態ですが、口からの人工呼吸は 感染症の危険性が高く 最長でも2週間が限度です 2週間後には 回復してても してなくても 人工呼吸器を抜きます そのあと 酸素マスク→鼻からの酸素吸入、と段階的に軽い治療に進めて行 けるまで 回復するか 逆に喉を切開して 人工呼吸器を 再度つけることになるか は、今の段階では予見できませんが 喉からの人工呼吸をすると、外せないまま生涯を過ごすことになる可能性は かなり大きく いわゆる [ 延命治療 ] のようなものになりますので その時には 延命をするか否か を決めなければならないことも、含んでおい て頂きたく… 今の状態からすると 2週間以内に亡くなられることも… この日から私は 自分の目まいもクソも、かまってられなくなり
まずは会社のこと
元銀行マンの父は現役で経理全般やってたので、弟と一緒に父の机ひっくり
返して ガタガタ
77才が 銀行の金も PCで振り替えてたらしく、慣れないWebバンキングの
操作にも ジタバタ
まだまだ手首が使えない母の代役として、工場の細かな作業も手伝い
母ほど手早くは無い 仕事帰りに父の病院
ICUの面会=1日3回、30分のみ 家に帰ったら即カバンを持ちかえて散歩
わが家の家事
洗濯やら掃除やら は、夜にまとめて
あと、お母んの通院
に付き合う日も有り
手術で取った滑膜を細胞検査に出してて、その結果も、なに病かも聞いて
なかったので・・・ と言うても 聞いても判らん難しい話ね(苦笑) それこそ目が回りそうなほどの忙しさ
ちょうどこの少し前に MAYちゃん父さんから 岡山方面県への [ お出かけ ]
に誘って頂いてたので
いつも ちゃぶログにお付き合い下さってる方々に
『 しばらく記事更新も、みなさんのところへのコメントも休みます 』
と伝えて貰うよう、お願いした
年始の ご挨拶も出来なかったまま、みなさんのところへのコメントも 長らく 失礼させて頂いてるにも関わらず 父の急変を知って頂いた みなさま方々から、お見舞いのメールを たくさん寄 せて頂きましこと 心より感謝いたしております ほんとに励みになり、今日まで頑張ることが出来ております 有りがとうございます 1月23日 父の病院から連絡が有った
先生からお話が有りますので、ご家族 みなさん来て下さい 父が横たわるICUのインターホンを押すと
医師を呼びますので、先に面会していて下さい 足センサーで重厚な扉を開き、手を消毒しマスクをして中に入り、父のベット
のカーテンを開けると
えっ?
人工呼吸器は外され、酸素マスクでは無く鼻からの酸素を吸っていた
口から管が入っていて 意識がシッカリしてる日でも何も喋れず、読み取れない
部分の方が多い、ミミズみたいな字で 必死で会社のことや 伝えたいことを書
いてた父
やっと管を抜いて貰えた父が私を枕元に呼び、かすれた声で
もし 次に悪なった時には 喉を切ってまで人工呼吸は要らんと先生に頼んだ [ 延命についての本人の意思 ] やった
弟は黙って顔を見て、母は
喋れるようになって良かったぁ〜 と涙ぐみ 両側
から父の手を握った
家族が 父親の手を握る機会なんて 無かったなぁ
私もポンポンと父の手の甲に触れた、父は嬉しそうに笑った
その後、別室での医師からの [ 話 ] は
肺炎は半分ぐらいまで減ってます 止まっていたオシッコも少しずつ出る ようになって来たので 人工透析もやめました もう少し回復したら一般病棟に移って貰い、ひとまず鼻からの栄養で 体力を つけて そのあと少しずつ食事を始めてから リハビリ(足の)も始めます ただ、これは順調に回復することが前提です 今回の治療で、かなり弱ってる上に、元もと COPDの病気も有るので、いつ なんどき 今日、明日にでも 新たな菌が 肺に着床して再発しても おかしくは無 い状態です その時には『 昨日は元気やったのに… 』と言うほど 突然 [ 重篤な状態 ] と なりますので 直に喉を切開しての人工呼吸しか手だてが無く、そうなると もう外せません もし再発した場合に 延命するのか否か を ご家族で決めて 私 医師 に 伝えて おいて頂けたらとは思います もちろん、ご本人の意思が最優先ですが、ご家族の了承も必要です 前もって決める=見放す 的な お気持ちになられるのは ほんとに良く判りま すが、再発した時には急に重体に陥るので ご家族が バタバタされて意見がまとまらず、私たち医師は お返事を 待ってら れなくて [ 人命救助 ] として 人工呼吸器を付けることになり 結果、ご本人の意思を尊重することは出来ずに 《 意識は有るけど 何も喋れず、ずっと息が苦しく辛い状態 》で 延命され続け ることになってしまいます 今すぐでなくても、万一に備えて ご家族のお気持ちが まとまったら… 母も弟も私も、その場ではハッキリとは返事できずに席を立った
1月27日 午前11:30〜12:00の面会に行き、少しだけ話をした
喋れるようになり、嬉しいのと 『 喋れるうちに何んでも伝えとかなあかん』
の思いからか、なんぼでも喋ろとしては息切れしてしんどくなるので
先生からも
面会時間30分メいっぱい喋らはると体力も使こて またしんどくなるし
少し短めになるよう うま〜いこと引き上げて下さいね 私にも、いっぱい喋って下さるんですけどねぇ と苦笑しながら
本人には内緒で 言われたので
父には悪いけどワザと少し遅れて行って15分ほど面会することに…
そして この日の夜、母から電話が有った
母と弟が夜7:30〜8:00の面会に行き、家に戻ったとたんに 病院から電話が
かかって来たらしく
『 やっぱり 急変したんか 』とビックリして出たら
明日ICUから出て2F詰め所となりの部屋に移られます 1つめの山
人工呼吸器を外したあと、喉を切開して(再)人工呼吸ではなく
酸素マスク→鼻からの酸素急吸入になること
をクリアし
2つめの山
生きてICUから出ること も、なんとかなった
再発・急変・重体の危険性は変わらへんけど、それでもやっぱり嬉しい
母と電話しながら鼻水ずるずるタレて泣いてる私を
茶歩は
『なんぢゃ、こいつ』てな顔で見てたけど
悲しんでる訳じゃないことだけは判ったのか(?)
毛布からハミ出た 極太のシッポを振っていた 緊急やったため 切り裂かれたヒートテッ*下着・上着やズボン、靴、カバン
なにもかも持ち帰り
時計・卓上カレンダー・筆談用具しか置けなかったICU
一般病室になったら 少し私物も持ち込める
落ち着いたら服と靴を持って行き
『これ着て、これ履いて家に帰ろな、早よう良ぅなりや』と言うてやりたい
まだまだ先、小春ごろにしか要らんやろけど
* * * * * * * まる1ヶ月分、長く長く綴ってしまいました もし根気よく最後まで読んで下さった方がおられましたら、貴重なお時間を 奪ってしまい申し訳ありません 次の更新が いつになるかは判りませんが、また明日からも [ 辛い覚悟 ]と [ 回復への願い ] 両方を持ちながら頑張ろうと思います ず〜っと更新も出来ずにおりましたのに、日々たくさんのアクセス数が有り
ほんとに有りがたいことと感謝いたしております
* * * * * * * 茶歩は12月初旬から急に留守番がちになり、もちろん やや退屈で不満げに してる日も有りますが 体調の方はと言うと、 たまに咳は出るけど この時期にしては まあまあ良し [ 留守番の分 ]のおやつは多めですが 体重も とっぴん具を魚に変えて 減らしてからの12.5kgをキープ ただ・・・ね 最近、深夜 決まって2〜3時ごろ になるとせっかく買ってやった ドーム型の
ぬくぬく寝床からゴソゴソ這い出して 亀の甲羅みたいに ミニ毛布を背負ったまま移動するんよね はい、甘えて布団の中に入って来る とか そう言うのではなく 足元の側から掛け布団をズカズカ踏んで乗り込んで来て、ど真ん中にドテッ と寝る = 和 犬 気 質 = 古都さん、足じゃまっ!! なんぼ掛け布団の上からでも踏まれると痛いからと
あわてて足を引っ込めてしまうと、もう戻すとこが無くなり こうして毎夜 2本の大根 私の両足は、敷き布団ぎりっぎり有るとこへ
追いやられて 冷んやり涼しく過ごしております この うすら寒い季節に なっ 扱いは ついでやわ
ご祈祷代は 犬より安いわ どないなっとんねん、うちの家の基準 ごちゃごちゃ… ぶつくさ…