古い写真を 引きずり出し、いろいろ思い出に ひたってるうち
過去最高だらだら長文となってしまいました
お忙しい方は、どうぞスルーして頂きますよう…
5月20日は
ちょっとした記念日だった
仔犬のころから カメラ 嫌がらず 近すぎ!!
だから ほんのプチ贅沢も
2001年 盛夏
茶歩papa実家の近所で、雑種5WANKOが生まれた
早くに井戸端会議で情報をつかんでいた姑女は、さっそく
プチ譲渡会(笑)に参加し
『うち、この牛柄の子』と
黒×白の仔犬に決めて来た
だが、その仔は上手く育たず生後しばらくで亡くなってしまい
かれこれ2ケ月半 お母ちゃんの お乳に喰らいつきシッカリ体力つけた
茶×白が 代替品(苦笑)として
やってきた
初日から 態度BIGで、モノ怖じせず
みんなで名前を考え
茶歩と命名
姑女の希望は茶子だったが、多数決
さっそく用意したサークル(高さ約80cm)に入れるや否や
軽く ピョイッと跳んで出た
驚異的 脅威的な脚力の仔犬は
けっきょく
お座敷WANKOとなり
サークルは 初日に お役御免
その日から、家族みんなに(私たちも頻繁に通い)
甘々
ちやほや
でれでれ
可愛がられ
洗濯モノでも 台所ふきんでも、布製品なんでも
食いむしり
ボールペン・うちわ・ペットボトル、固いモノ見つけりゃ
牙みがきグッズ
ラベルを剥がし、キャップとリングを外して
ボトルは バキバキに破壊し尽くすリサイクル犬
(仔犬のころ、もこもこ毛でした)
ティッシュ散乱、箱からっぽ
消しゴムは 没収が間に合わず 胃袋へ、こたつ布団も食べたが
ちょっとぐらいのモン誤食すれど 消化よろしく たくましく
やりたい放題
ストレスフリ?な日々
ところが 茶歩が3才すぎて 落ち着き始めた頃
義妹が
『迷子やろか…』と1匹の くたびれた犬を保護
そのまま身柄は預かり、警察や保健所に届け出るも
飼い主の名乗り出も手がかりも一切なく・・・
路頭に迷ってたから
迷と書いてマヨイと名付けた
で診て貰ったところ
うぅ~ん 7~8才か もうちょっとか…
10才にはなってないか…
足腰のわりに、歯の相も毛艶も状態が悪く、獣医師も
およその年齢が判りづらかった
すっかり わがまま甘えん坊と化していた茶歩
とつぜん中年のオッサン犬との同居生活が始まった
ところが
この中年(と言うより2WAN暮らし自体が?)気に食わずの
茶歩は、日ごとに悪態をつくようになり
マヨイが近づこうもんなら
牙むいて激吠え
よその犬には決して吠えることなくシッポふりふり
マヨイには強いマーキング癖が有り、さっさと先に進まない
散歩にイラつく茶歩は
マヨイに体 ブチ当てて田んぼに突き落とし…
まだ避妊手術してなかった茶歩と、未去勢のオッサン犬
それぞれの定位置もシッカリ距離をとり、茶歩は今までどおり
お座敷犬
マヨイは勝手口内の土間、この生活スタイルで約2年
朝夕の散歩も、
茶歩の切なる希望により2WAN別々となり
大の犬好きの姑女も けっこう大変だった
1WAN散歩になってからも茶歩は
姑女つれて 畑にダイブ
リードを離してしまった姑女は畑に取り残され、茶歩は1mほどの
段差をジャンプして逃走
この時は通りすがりのオジサンが、この悪魔を捕獲
いつのまにやら勝手口から脱走し、町内を爆走していたことも
とにもかくにも世話のかかる
身軽な悪魔は
その1年後、またもや散歩中に
首輪すっぽ抜き逃走を図り
だだっ広い畑を 満面の笑顔でグルグル走り続けること1時間
祖母の七回忌には
親戚が揃う仏間を義妹のブラジャーくわえて走り回り
わざわざ洗濯物のとこから持って来た
そんなに2WAN暮らしがイヤなのか
若いから パワー持て余して ウズウズしてるのか
茶歩ちゃん ストレスたまってるんやったら
GWのあいだ ウチに来る?
お泊まりして、どっか遊びに行くか?
と言うことで
わが家に3泊4日の
ショートステイ
何度か義妹と遊びに来ただけの慣れない家に さっさと上がりこみ
しっかり
ごはん食べて、夜にはスヤスヤ
まるで、ここで生まれ育ったかのごとく
態度 BIG MAX
車酔いも全くナシの茶歩は、
ドライもブ大喜び
ここら近所 知らない土地での散歩
も、平気の屁
広い公園を
一緒に走ってやると
夜も良く寝た
そしてGW最終日、茶歩を送って行くと
姑女:
茶歩 あんた
◯◯(←うちのダンナの名前)とこの子になりたいか?
:お義母さん 淋しないの?
姑女:
よその家に行くのとちゃうし
いつでも会えるし ちっとも淋しないで
茶歩、アンタらが帰ったあと 庭に車が無いの見たら
そこのコンビニやら月極駐車場やら、車1台づつ匂いで
私 夜中まで連れ回されるしなぁ(苦笑)
:ほな、しばらくウチで預かってみよか
そして わが家は
戦闘機を格納する準備を整え
2007年5月20日
茶歩を迎えた
リビング2階やったかいな~ と私たちより先に階段をトコトコ
私たちが後から上がると、茶歩に… と買っておいた座布団に
ちんと座っていた
この日から茶歩5才は、やかましく言わずとも 破壊行為も
ムダ吠えも無く、愛くるしいWANKOに戻った
茶歩が あっさり捨てた(笑)実家では、マヨイの敷物が高い敷居をまたぎ
マヨイは
土間犬から 座敷犬に昇格
こちらも、
安全で快適な老後を手に入れた
そのマヨイが、先日5月10日に 虹の橋を渡った
享年16~17才=推定 老衰だった
朝ごはんは美味しそうに食べ、午後から少し具合が悪くなり
夕方には動けなくなって 7時20分 静かに息を引き取った
義妹が保護した際、マヨイはキチンと胴輪を装着していた
野良犬では有りません
どうぞ保健所に連れて行かないで 誰か飼ってやって
との 飼い主の無責任かつ身勝手な願いが込められていたのか
保護して しばらくは症状が出ず、すぐには判らなかったが
生涯において そこそこ高額な投薬代が必要だった
歯槽膿漏の放置が原因で もう早くから心臓を患っていたようだ
てっきり迷子だと思い込んだ義妹に拾われ
高齢期を前に イケズな茶歩(苦笑)とも別居となったマヨイは
8年あまりの おだやかな老後を過ごした
茶歩に と購入したが窮屈すぎて
マヨイに譲り
ずっと愛用していたカドラーの中で
もうすっかり すり減って先が丸くなった牙を少し見せて
笑ったような顔をして眠っていた
だから、私たちも『お疲れさんやったなぁ』と声をかけ
逝くなと引き止めはしなかった
いつも茶歩が行くたび、シッポふって向かえてくれたマヨイを
その古びたカドラーから出してやり
きれいな敷き物の寝かせて 新品の毛布を そっとかけ
老犬でも食べられるソフトおやつと 数本の花を添えた
姑女に
ほら、マヨイ逝ったで と言われた茶歩も
最期はシッポふって鼻to鼻で挨拶していた
がっ!! そのあと茶歩は 姑女に
オカン おやつちょうだい
WANKOには、哀悼や追悼の念など理解できないのだ
いつもの場所に いつもの光景が見られなくなった時
やっと物足りなさや淋しさを感じるのか・・・
きっと茶歩は
次に 実家へ行き、見慣れたカドラーが無い その場所を見て
気づくのだろう
ノーリードと言う最高の自由を手に入れたマヨイは
永遠の散歩に出かけたことに
相変わらず茶歩は 白状しないが
本当にマヨイを嫌って意地悪ばかりしたのか
仔犬の頃から 会うたびベッタリ寄り添っては甘えていた
に
うちの子になるか? と言わせるための
作戦だったのか
ただ 茶歩にとって誤算だったのは
実家にいてもウチに来ても
やっぱり主食は カリカリフードだったこと
マヨイ、聞こえるか?
四十九日まで あとまだ30日ぐらい歩くのか?
自分の好きなペースで行ったらいいで
向こうに着いたら 毛布かぶって ゆっくり昼寝
してたらええよ
茶歩は まだコッチで 頑張ってるからな